中学校時代の都道府県対抗女子駅伝で17人抜きを達成し、一気に全国区の存在となった衝撃から3年。津山高校へと進学した彼女のストーリーは、決して平坦な道ばかりではなかった。急激な人気の高まりに伴う過熱取材やプライベートへの干渉。精神的な負担から一時は大会出場を見合わせるなど、多感な時期にいくつもの壁にぶつかった。
だが、走ることをやめなかった。指導陣とともにフォームの改良に着手し、過度な負荷を避けたトレーニング計画を徹底。レース中のピッチとストライドのバランスを再構築することで、怪我を防ぎながら走力を底上げすることに成功した。その結果、インターハイや全国高校駅伝での圧倒的な走りを取り戻し、「天才少女」から「実力派ランナー」へと見事な脱皮を遂げたのである。