左側通行の国は世界で約3割!日本とイギリスの理由や最新一覧を解説

左側通行の国は世界で約3割!日本とイギリスの理由や最新一覧を解説

左側通行の国は世界で約3割!日本とイギリスの理由や最新一覧を解説にまつわる役立つ知識を詳しく紐解きます。

一度インフラとして根付いた通行区分を国全体で変更することは、現代では国家予算が吹き飛ぶほどの天変地異に等しい大事業です。しかし、20世紀後半から21世紀にかけて、この不可能を成し遂げた伝説的な事例が存在します。

スウェーデン「ダゲンH(Dagen H)」の一夜明けた奇跡

ヨーロッパ大陸で最後まで左側通行を守っていたスウェーデンは、1967年9月3日に歴史的な大転換を断行しました。この日は「Hデー(Högertrafik=スウェーデン語で右側交通)」と呼ばれます。

当時、スウェーデン国内を走る自動車の大半は輸入車の左ハンドル車であり、左側通行の道路で左ハンドル車を運転することによる追い越し時の正面衝突事故が社会問題化していました。さらに、国境を接するノルウェーやフィンランドが右側通行であったため、越境時の事故が頻発していたのです。国民投票では変更反対が8割を超えたものの、政府は将来の安全と経済統合を優先して法案を可決しました。

1967年9月3日午前4時50分、スウェーデン全土の車両は一斉に停止し、慎重に道路の反対側へと移動。午前5時ジャスト、国中の交通が完全に「右側通行」へと切り替わりました。すべての交差点標識の取り替え、バスの乗降ドアの改修など天文学的なコストを要したものの、切り替え直後から交通事故件数が劇的に減少したことで、世界で最も成功した交通インフラ転換として歴史に刻まれています。

沖縄の「730(ナナサンマル)」日本の主権回復の象徴

日本国内でも、通行区分を一夜にして逆転させた壮絶なドラマがありました。第二次世界大戦後、米軍施政権下に置かれた沖縄県では、アメリカ本土に合わせて「車は右、人は左」の右側通行が強制されていました。1972年の本土復帰後も道路行政の矛盾が続いていましたが、1978年(昭和53年)7月30日午前6時、県内全域で日本本土と同じ「左側通行」へと一斉変更されました。

この変更作戦は日付から「730(ナナサンマル)」と呼ばれ、県内の全バス車両のドア位置変更、数万本の標識架け替え、道路標示の引き直しなど、官民一体となった一大プロジェクトとして完遂されました。当時のニュース映像には、午前6時のサイレンとともに警察官の誘導で車が一斉に車線を移る圧巻の光景が記録されています。

2009年、サモアが「右から左」へ逆走切り替えを行った真の理由

通行区分の変更は「左から右」への統一が世界の潮流ですが、21世紀に入ってから「右側通行から左側通行へ」逆行転換を果たした唯一の国が太平洋の島国サモアです。

サモアはドイツ植民地時代の影響で右側通行を採用していましたが、地理的・経済的に極めて密接なオーストラリアやニュージーランドは左側通行です。アメリカから高価な左ハンドル新車を輸入し続けるよりも、オーストラリアやニュージーランド、そして日本から安価で高品質な「右ハンドル中古車」を大量に輸入するほうが、国民の経済的負担を大幅に削減できるというプラグマティックな判断が下されました。2009年9月7日、サモアは左側通行へと舵を切り、現在では日本の中古車が街中を元気に走り抜けています。

山口 彩花
著者

山口 彩花

グルメと旅を愛するフリーライター。全国各地の隠れた魅力を独自の視点から紹介します。