1989年は、ヒット曲が生まれるメディア構造そのものが激変した年でもありました。長年、国民的なヒットチャートの基準となっていたTBS系『ザ・ベストテン』が視聴率低下に伴い1989年9月28日をもって12年近い歴史に幕を下ろした出来事は、昭和型テレビカルチャーの終焉を告げる号砲でした。
そうした過渡期において、唯一無二の存在感でヒットを連発したのが工藤静香黄砂に吹かれてです。作詞・中島みゆき、作曲・後藤次利という鉄壁の布陣によるエキゾチックなメロディを、工藤は憂いを帯びた独特のボーカルスタイルで見事に歌い上げました。彼女が提示した「媚びない自立した女性像」は、従来の男性ファン向けアイドル像を完全に解体し、同世代の女性から圧倒的なファッションアイコンとしての羨望を集めたのです。
同時に、深夜テレビの現場からは全く新しい潮流が生まれていました。1989年2月にTBS系列の深夜枠でスタートした『三宅裕司のいかすバンド天国』(通称・イカ天)です。これが契機となり、1989年バンドブームの経緯は一気に全国規模の社会現象へと拡大していきました。
メジャー資本が仕掛ける既存の歌謡曲ではなく、ライブハウスの泥臭い熱狂とアマチュアリズムがダイレクトにお茶の間に届く構造が誕生したのです。FLYING KIDS、たま、BEGIN、BLANKEY JET CITYといった個性的なバンドが次々と発掘され、THE BLUE HEARTSやJUN SKY WALKER(S)、UNICORN、そしてCOMPLEX(吉川晃司・布袋寅泰)といった実力派ロックアクトがシングル・アルバムチャートの上位を席巻する土壌が完全に整いました。これが90年代前半のミリオンセラー連発期へと直結する、巨大な「J-POPビジネス」の揺籃期だったと言えます。