終末期において飼い主が深く悩む問題の一つに、「水分と食事の完全な拒絶」があります。シリンジで無理やり流動食や水を与えようとして愛犬が嫌がり、激しくむせてしまう場面に胸を痛めるケースは極めて典型的です。
犬が老衰で水を飲まないのは、自らの身体を守るための高度な防衛反応です。内臓機能が極限まで低下している状態で水分を過剰に摂取すると、体液を循環・排泄しきれず、肺水腫や胸水、腹水を引き起こし、かえって溺れるような激痛と苦悶をもたらします。身体を自然に脱水状態に傾けることで、脳内麻薬と呼ばれるβ-エンドルフィンが多量に分泌され、意識が朦朧として苦痛や不安を感じにくくなる「天然の鎮痛効果」が働くことが生理学的に解明されています。したがって、喉を湿らせる程度のガーゼ拭きに留め、無理な強制給水を行わない判断こそが、動物福祉に適った慈悲となります。
また、息を引き取る数時間前や直前に、突如として手足をピクピクと震わせる痙攣(けいれん)や、遠吠えのように「クゥーン」「ワォーン」と高く鳴き声をあげる現象が確認されます。これも飼い主を狼狽させる要因ですが、脳の低酸素状態によって引き起こされる不随意的な神経反射や筋肉の電気的放電であり、意識的なパニックや痛みの叫びではありません。無理に揺り動かしたり押さえつけたりせず、穏やかな声で名前を呼びながら、身体にそっと手を添えて触覚の安心感を与え続けるのが最善のアプローチです。