『機動戦士Vガンダム』制作当時、富野由悠季監督は過酷なアニメーション産業の商業至上主義やスポンサーとの軋轢により、極度の精神的疲弊状態にあったことが広く知られている。劇中に漂う生々しい絶望感や、主要キャラクターが次々と命を落とす凄惨な展開は、監督自身の内面的葛藤の投影にほかならない。
カテジナというキャラクターが放つ生々しい毒気は、作り手が既存の「ヒロイン像」や「分かりやすい悪役」を解体しようとした結果生まれた産物だ。彼女は世界征服を企む支配者ではなく、ただ自分自身の存在意義に飢え、世界を呪いながら戦場を暴走した一人の人間に過ぎない。
終戦後、視力と記憶の大部分を失い、雪の降るウーイグの街を彷徨うカテジナ。ウッソは彼女を咎めることもなく、静かに見送る。勝利の歓喜など微塵もないこの結末こそが、富野監督が描こうとした戦争という巨大な不条理のリアルな着地点だった。