インターネット上のQAサイトや歴史フォーラムでは、公文所に関して幾つかの事実誤認が見受けられます。史実の解像度を高めるために、代表的な2つの誤解を是正しておきます。
誤解1:「公文所は源頼朝がゼロから独自に考案した新組織である」
これは明らかな誤りです。「公文所」という名称および機能は、平安時代中期から全国の大規模な荘園や寺社、貴族の家政機関に広く存在していました。各荘園の現地事務所として年貢台帳や公文書を扱っていたのが荘園の公文所であり、そこでの実務責任者は「公文(くもん)」と呼ばれていました。頼朝は京都の官僚制度や荘園管理のノウハウを換骨奪胎し、幕府という武家政権の中枢機構に応用したのです。
誤解2:「公文所と政所は名前が違うだけで中身は全く同じである」
名前の変更だけにとどまらず、扱える権限の範囲と公的権威が飛躍的に拡大しました。公文所時代はあくまで「関東の主」としての私的な家政機関・文書処理部門の色彩が残っていましたが、政所となったことで朝廷公認の公卿家政機関として全国的な命令書(政所下文など)を発給する法的権威を獲得しました。実務機関から「国家政務の最高審議機関」へと質的進化を遂げたのが政所への改称の本質です。