名前に「中華」と付き、中華料理店で提供されることから、多くの人が「中国から伝わった伝統料理」と無意識に思い込んでいます。しかし、中国料理の歴史や文献を調査しても、私たちが日常的に食べている甘酢醤油ダレや冷水で締めた細麺の上に多彩な具材を放射状に並べたスタイルの麺料理は存在しません。
ルーツとして語られるのは、中国の家庭や屋台で古くから食べられていた中国料理「涼拌麺(リャンバンメン)」です。これは茹でた麺を常温、あるいは井戸水などで冷まし、もやしや細切り肉を乗せて黒酢や芝麻醤(ゴマダレ)、ラー油などで和えて食べる汁なし麺を指します。しかし、スープに氷を浮かべたり、麺を氷水で徹底的に冷やしたりして強い酸味と甘味を効かせたタレをたっぷりかけるアプローチは、完全に日本人の味覚と気候風土に合わせて再構築されたものです。
冷やし中華の誕生の背景には、昭和初期における街の中華料理店が抱えていた過酷なビジネス事情がありました。当時の厨房には当然ながらエアコンなどなく、強力な火力を使う中華鍋と茹で釜から放たれる熱気で室温は40度を超えていました。客席にも冷房設備がほとんど普及していなかったため、真夏になると熱いラーメンや炒め物は敬遠され、飲食業界の記録によると「夏場の麺類の売上は平時の3割から4割近くまで落ち込んだ」と記されています。この深刻な夏枯れの経営危機を乗り切るため、料理人たちが知恵を絞って開発した生存戦略こそが、昭和初期の冷やし中華の出発点でした。