『八重の桜』の全話平均視聴率は16.6%(関東地区・ビデオリサーチ調べ)を記録しました。この数字は当時の大河ドラマの視聴率推移としては手堅い水準であったものの、リアルタイム放送時の世論や視聴者の評価は、前半と後半で大きく二極化するという独特の現象が起きました。
前半の会津戦争編、とりわけ第20回以降の「会津落城」「鶴ヶ城開城」に至る戦闘シーンの演出は、特撮映画監督の樋口真嗣氏が城郭描写の特撮を担当したこともあり、大河ドラマ史上に残る凄まじい臨場感と残酷さを伴って描かれました。視聴者からは「大河ドラマの枠を超えた戦争映画の迫力」「会津武士の悲劇に涙が止まらない」と絶賛され、SNSでも毎週のように関連ワードがトレンドを席巻しました。
しかし物語が後半の明治編へ移り、舞台が会津から京都へと移ると、劇的な合戦シーンは激減します。八重と新島襄による同志社英学校の創設運動、キリスト教の布教を巡る保守派との対立、教育理念の模索といった「思想と対話のドラマ」へとシフトしたため、一部の視聴者からは「前半の熱量が失われた」「展開が地味になった」という戸惑いの声が寄せられました。
しかし、近年のドラマ批評や熱心なファンの間では、この後半の京都編こそが『八重の桜』の真骨頂であるという再評価が定着しています。武力で戦う時代を終えた日本が、いかにして近代国家としての教育や人権、女性の尊厳を確立していったのかという難題を描き切った脚本(山本むつみ氏ら)の知的な構成は、大河ドラマの歴史において極めて先駆的な試みであったと位置づけられています。