谷汲山華厳寺の起源は、平安時代初期の延暦17年(798年)にまで遡ります。開創の主となったのは、会津の貴族・大口大夫(おおぐちのたいふ)と、諸国を行脚していた豊生上人(ほうせいしょうにん)です。都で十一面観世音菩薩像を彫刻させた大口大夫が、自らの郷里へ持ち帰ろうとした際、この美濃の山中で尊像が「ここから一歩も動かない」と告げられたという霊験譚が、開山の直接の契機となりました。山から油が湧き出て灯明の油に困らなかったことから「谷汲山」の山号を賜ったと伝えられています。
特筆すべきは、西国三十三所観音霊場の中で唯一近畿二府四県を離れた美濃国(岐阜県揖斐川町)に位置する点です。第一番の那智山青岸渡寺(和歌山県)から過酷な山河を越え、およそ千数百キロに及ぶ長旅路を歩き通した巡礼者たちが、最後にたどり着く場所こそがこの華厳寺でした。
すべての苦難を乗り越えて願いを結ぶ「満願(結願)」の聖地であるがゆえに、境内には達成感と深い安堵、そして新たな生への祈りが満ちています。単なる観光名所にとどまらない濃密な祈りの空気が漂っていることこそ、宗派や世代を超えて旅人を惹きつける最大の要因です。