弘道会が山口組内で突出した影響力を持つに至った背景を理解するには、歴代会長の変遷を辿る必要があります。弘道会の源流は、三代目山口組で「武闘派」として恐れられた田岡一雄組長の直参・藤川一男率いる藤川組にあります。これを引き継ぎ、中京地区の地盤を盤石にしたのが初代会長・司忍(現・六代目山口組組長)でした。
司忍初代は、旧態依然とした博徒・テキヤ組織が乱立していた名古屋において、合従連衡と武力、卓越した資金獲得力を背景に諸勢力を統合。1984年に「弘道会」を結成しました。その後、実務を取り仕切る二代目として辣腕を振るったのが髙山清司(現・六代目山口組若頭)です。
髙山二代目は、徹底した合理主義とピラミッド型の管理統制を導入しました。いわゆる「弘道会方式」と呼ばれるこのスタイルは、警察の取り調べに対する完全黙秘の徹底、組員同士でも本名や連絡先を明かさない徹底した機密保持、上納金の厳格な管理を特徴とします。この強固な組織規律を武器に、2005年には司忍が六代目山口組組長へ、髙山清司が若頭へと同時に就任し、山口組の歴史上初めて「名古屋主導」の体制が確立されました。
そして二代目の後を継ぎ、2013年に直参から電撃的に三代目会長へ昇格したのが竹内照明です。竹内会長は髙山清司直系の愛弟子であり、武闘派組織として名高い髙山組を率いて頭角を現しました。竹内照明経歴において特筆すべきは、若くして激戦区での抗争を指揮し、組織防衛と拡大に貢献した実績です。現在も髙山若頭の忠実な後継者として、組織の引き締めと世代交代の舵取りを一手に担っています。