「願わくば花の下にて春死なん」意味と下の句の真相|西行の最期

「願わくば花の下にて春死なん」意味と下の句の真相|西行の最期

「願わくば花の下にて春死なん」意味と下の句の真相|西行の最期に関する注目トピックを分かりやすく解説します。最新情報を求める方は必見です。

Q1:歴史的仮名遣いの「願はくは」と現代の「願わくば」はどちらが正しい表記ですか?
A1:古典和歌としての本来の表記は「願はくは(ねがはくは)」です。意味は「願うことには」という連語です。近世以降、俗用として「願わくば」と濁音化して読まれることが定着し、現代の検索や日常会話では「願わくば」が広く用いられていますが、古文の文法や原典の表記としては「願はくは」が正式です。

Q2:西行法師が最期を迎えた「弘川寺」は現在でも参拝できますか?
A2:現在も大阪府南河内郡河南町に所在し、参拝が可能です。境内には西行法師の墳墓(西行墳)があり、春には数多くの桜が咲き誇る名所として知られています。また、隣接する「西行記念館」では西行にまつわる貴重な史料や墨跡などが展示されています。

Q3:この歌はどの和歌集に収録されていますか?『新古今和歌集』にも入っていますか?
A3:西行の自撰家集である『山家集』に収載されているほか、鎌倉幕府が成立した後の元久2年(1205年)に完成した勅撰和歌集『新古今和歌集』(巻十七・雑中、歌番号914)にも選歌されています。『新古今和歌集』の撰者であった藤原定家らが、西行の歌才と伝説的な最期を後世に伝えるべく重視した証拠といえます。

Q4:なぜ「旧暦2月」なのに「桜」が咲いているのですか?季節がずれていませんか?
A4:旧暦(太陰太陽暦)と現在の太陽暦(グレゴリオ暦)には約1ヶ月のずれがあります。西行が亡くなった建久元年2月16日は、現在の暦に換算すると1190年3月23日にあたります。大阪・南河内の温暖な山麓であれば、早咲きの山桜などが開花し始めても全く不自然ではない時期であり、まさに春爛漫の季節の入り口でした。

田中 結衣
著者

田中 結衣

グルメと旅を愛するフリーライター。全国各地の隠れた魅力を独自の視点から紹介します。