日本文学史において最も有名な文豪の一人、夏目漱石(本名:夏目金之助)。この「漱石」という雅号が、まさに孫楚の「漱石枕流」から取られたものであることは広く知られています。しかし、この筆名はもともと漱石自身が考案したものではありませんでした。
発端は、東京帝国大学予科(第一高等中学校)時代からの親友であった俳人・正岡子規です。子規は大変な筆名魔であり、1889年(明治22年)頃に自らのペンネームの候補として「漱石」を含む複数の号をノートに書き留めていました。漱石はこの子規の筆名群の中から「漱石」をいたく気に入り、子規から譲り受ける形で使い始めたのです。
当時の夏目金之助は、神経質でプライドが高く、周囲と妥協することを極端に嫌う頑固な青年でした。自らの偏屈さや、世間の常識に抗ってでも自説を曲げない頑迷さを、孫楚の「絶対に非を認めない強引なへ理屈」に重ね合わせたのです。「自分は世渡り下手な負け惜しみ屋である」という痛烈な自嘲を含みつつ、同時に「世俗の俗物どもに屈するものか」という気骨を表明する名として、これ以上ないほど合致していました。