SNSやネット掲示板を定点観測すると、ドーナツの穴に対するネットの反応は定期的にバズを生み出している。「ミスドの穴論争」から「くり抜いた穴の部分はどこへ行ったのか問題」まで、ユーモアと知的考察が入り混じった投稿が後を絶たない。
コミュニティ上の生の声を見てみると、次のようなリアルな反応が目立つ。
「仕事で疲れ切った深夜、ドーナツを眺めながら『俺はいま何もない空間にお金を払っているのか?』と考えてゾッとした」(30代男性・ITエンジニア)
「子供に『ドーナツの穴って食べたらどこ行くの?』と聞かれて答えに詰まり、気づけばネットで存在論の論文を読み漁っていた」(40代女性・教育関係)
「『D-ポップ(現ドーナツポップ)』を買ったとき、友達が『これこそがドーナツの穴の実体化だ』と言い張って朝まで議論になった」(20代男性・大学院生)
心理学において、人間は対象の「図(背景から浮き上がる実体)」と「地(背景)」を切り替えて認識する(ゲシュタルト心理学の「ルビンの壺」が好例だ)。日常において私たちは生地という「実体」に目を奪われがちだが、ふとした拍子に中央の「穴(空白)」へと意識が反転する。過剰な情報とタスクに埋め尽くされた情報化社会において、何もない空虚に意味を見出そうとするドーナツの穴の哲学的問いは、日常のルーティンから脱落した一瞬の知的アハ体験(閃き)として熱狂を呼び続けている。