全国紙の看板記者として高い評価を受けていた青木氏が、安定した新聞社を離れた理由について、読者やメディア関係者の間では大きな関心が寄せられました。その根底にあったのは、「組織ジャーナリズムの制約にとらわれず、長期的な調査報道を完遂したい」というジャーナリストとしての純粋な危機感です。
震災から年月が経過するにつれ、マスメディア全体の関心は徐々に風化し、紙面における原発事故関連のスペースや取材リソースは縮小傾向を余儀なくされていきました。さらに新聞業界全体の構造転換が進むなかで、時間とコストを要するディープな調査報道を維持することの難しさが増していた時期でもあります。
「被災者の現在進行形の苦しみを、紙面の都合や時代の空気で終わらせてはならない」。そうした強い信念のもと、自らの足で現場に立ち続け、発信のスピードと深さを自力で担保するためにフリーランスへの転身を決断したと伝えられています。