そもそも、なぜこれほど巨大な観音像が仙台の丘陵地に築かれるに至ったのでしょうか。時計の針を日本中が空前の好景気に沸いていた1980年代後半へと巻き戻す必要があります。
建立の主導者は、地元仙台の総合開発企業「双葉グループ」の創業者である実業家・菅原翁(菅原良右氏)です。当時の中山エリアは、ゴルフ場やホテル、ニュータウン開発が急速に進む新興開発エリアでした。菅原氏は自らの事業成功への感謝と、1989年に迎えた「仙台市制施行100周年」を記念するシンボルとして、地上高100メートルに及ぶ白衣観音の建立を構想しました。
事業費は当時の金額で数十億円規模とも報じられ、バブル絶頂期のエネルギーと民間資本の力が結実して1991年に完成を迎えました。右手には人々の願いを叶える「如意宝珠(にょいほうじゅ)」を掲げ、左手には知恵の水を注ぐ「水瓶(すいびょう)」を傾けています。その視線は泉区から仙台駅方面、さらには太平洋の水平線へと向けられており、本来は国家安泰と市民の幸福、そして地域発展への祈願が込められた正当な宗教モニュメントなのです。
しかし、完成直後にバブル経済が崩壊。周辺のリゾート構想が頓挫したことや、あまりの巨大さゆえに街の景観論争が巻き起こった歴史が、後年の「バブルの遺物」「異様なラスボス」といった都市伝説めいたイメージの土壌となったことは否めません。