母・竹山澄子さんと娘・藤圭子さんの関係性を象徴するのが、北海道旭川市などを中心とした極寒の地での「手引き」のエピソードです。澄子さんは盲目であったため、娘が杖となり、母の手を引いて雪深い街の酒場や炭鉱町を歩き回りました。
澄子さんは普段は穏やかで優しい母親でしたが、芸事に対しては一切の妥協を許さない厳格な師匠の一面も持ち合わせていました。娘が調子を外したりリズムが乱れたりすると、演奏中であっても厳しく指摘したといいます。幼い藤圭子さんは、母の研ぎ澄まされた耳と三味線の厳しい指導を通じて、プロフェッショナルとしての徹底した音程感覚とリズム感を骨の髄まで叩き込まれました。
1969年、藤圭子さんが『新宿の女』で鮮烈なデビューを飾り、瞬く間に日本中を席巻するトップスターへ駆け上がった際、真っ先に行ったのは「苦労をかけ続けた両親に家をプレゼントすること」でした。過酷な貧困生活の中で自分を育て上げ、音楽の基礎を授けてくれた母・澄子さんへの深い敬愛と感謝の念は、藤圭子さんの胸に生涯消えることなく刻まれていました。