20代を迎え、女優としてまさにキャリアの絶頂期にあった1995年、後藤久美子は日本中を揺るがす電撃的な選択を下します。それが、世界的F1レーサーであるジャン・アレジとのロマンスと、芸能活動の無期限休止を伴う渡欧でした。
二人の馴れ初めは1994年末に遡ります。日本のテレビ番組の企画やマカオGPの現場で出会い、情熱的で真っ直ぐなアレジの猛アプローチによって交際へと発展しました。当時アレジはフェラーリのエースドライバーとして世界的な名声を誇り、後藤久美子もまた日本で最も注目を集める若手女優の筆頭でした。多忙を極めるトップランナー同士の恋は瞬く間に国際的な注目を集め、1995年のF1日本GP(鈴鹿)ではピット内で仲睦まじく寄り添う姿が全世界に中継されました。
しかし、当時の日本メディアは彼女の選択を素直に祝福するばかりではありませんでした。アレジには前妻との法的手続きが残されていた時期があり、一部の週刊誌は「略奪愛」「愛人関係」といったセンセーショナルな見出しで書き立てたのです。さらに二人が選択した関係性が、日本の伝統的な「法律婚」ではなく、欧州で一般的かつ法的にも権利が守られた「事実婚(コンキュビナージュ)」であったことも、当時の日本社会には大きな波紋を広げました。
ネットや世間の一部で囁かれた「籍を入れないのは不都合があるからでは」という誤解に対し、後藤久美子は自著や特別インタビューの場で明確な意思を示しています。「紙切れ一枚の契約で縛り合うのではなく、互いに自立した個人として愛し合っているからこそ隣にいる」というフィロソフィーは、フランスやスイスの洗練された文化圏においては極めて自然な選択でした。日本芸能界の地位や莫大なCM契約をあっさりと手放し、20代前半で愛するパートナーとともに海外へ拠点を移したその潔さは、彼女の若い頃からの「誰の指図も受けない」という生き様そのものだったと言えます。