昭和史の舞台「荻外荘」復元で何が変わった?見どころや予約方法を徹底解説

昭和史の舞台「荻外荘」復元で何が変わった?見どころや予約方法を徹底解説

昭和史の舞台「荻外荘」復元で何が変わった?見どころや予約方法を徹底解説についての真相をお届けします。

歴史的な重厚さの一方で、純粋な近代建築としての見どころの多さも荻外荘の大きな魅力です。この邸宅はもともと1927年(昭和2年)、大正天皇の侍医頭を務めた東京帝国大学医学部教授・入澤達吉の別邸として建てられ、設計を担ったのは日本近代建築界の重鎮・伊東忠太でした。

築地本願寺や平安神宮、湯島聖堂などを手掛けた伊東忠太といえば、怪獣や架空の動物、アジア古代の意匠を取り入れる独自の世界観で知られます。荻外荘は一見すると落ち着いた近代和風住宅の佇まいを見せながら、随所に伊東建築ならではの企みが隠されています。

  • 和洋折衷の巧みな構成:入澤達吉の別邸時代からの特徴として、伝統的な数寄屋造りの意匠を踏襲しながら、ガラス窓の割り付けやサンルームの配置、照明器具の取り付け金具に洋風の合理性が融合しています。
  • 意匠化された細部の装飾:欄間の透かし彫り、釘隠し、建具の桟の組み方など、細部に目を凝らすと伊東忠太特有のユーモアと幾何学的なモダンデザインが潜んでいます。
  • 自然の起伏を取り込んだ庭園設計:邸宅南側は武蔵野台地を削る善福寺川の低地に向かって緩やかに傾斜しており、庭園からはかつて富士山を望むことができました。高低差を利用した立体的な植栽配置は見事というほかありません。

近衛文麿がこの邸宅を譲り受けた際、「荻外荘」と命名したのは、荻窪の郊外(外)にあり、世俗の喧騒から離れた隠れ家という意味が込められていたと伝えられます。都会の真ん中にありながら、風のざわめきと野鳥の声だけが響く静寂のロケーションは、100年近い時を経た現在も損なわれていません。

木村 陽翔
著者

木村 陽翔

デジタルガジェットとスマート家電の検証記事を多数執筆。失敗しないモノ選びを提案します。