離婚後の小池百合子氏は、希少なアラビア語通訳として頭角を現し、パレスチナ解放機構(PLO)のアラファト議長やリビアのカダフィ大佐といった国際的要人との単独会見を成功させました。その後、テレビ東京系『ワールドビジネスサテライト(WBS)』の初代メインキャスターに抜擢されるなど、報道の世界で確固たる地位を築いていきます。
30代から40代にかけては、キャスターから政治家への転身という怒涛の日々が続きました。1992年に日本新党から参議院議員として初当選を果たして以降、衆議院への鞍替え、環境大臣としての「クールビズ」導入、女性初の防衛大臣就任など、激動の政局を駆け抜ける中で、再び結婚という選択肢を挟む余白は実質的に存在しなかったと言えます。
子供の有無に関して、小池氏は過去の雑誌対談や手記の中で率直な思いを吐露したことがあります。「子供を産み育てる人生への憧れがまったくなかったわけではない」としつつも、自らが選んだプロフェッショナルとしての重責と天秤にかけた結果、自立して生きる道を後悔なく受け入れている旨を語っています。
社会学的に見ても、1980〜90年代の日本の政界・メディア界において、女性が男性と同等以上に渡り合うためには、私生活を極限まで削ぎ落とすことが暗黙の前提とされていました。彼女の「独身を貫く生き方」は、単なる巡り合わせではなく、ガラスの天井を打ち破り続けるための必然的な選択だったと分析できます。