世界的な大英雄となったユーリ・アレクセエヴィチ・ガガーリンですが、その人生は決して平坦なものではありませんでした。1934年、スモレンスク近郊の農村に生まれた彼の幼少期は、第二次世界大戦におけるナチス・ドイツの占領という過酷な苦難から始まります。
戦後、鋳造工として働きながら勉学に励み、航空クラブで飛行の魅力に取り憑かれた彼は、ソ連空軍士官学校を首席で卒業。過酷な選考試験を突破し、数百名に及ぶパイロット候補生の中から人類初の宇宙飛行士の座を射止めました。選抜の決め手となったのは、過酷な訓練に耐えうる強靭な肉体と冷静な判断力、そして何より人々の心を惹きつける温かな笑顔だったと伝えられています。
しかし、地球帰還後の人生は自由とは程遠いものでした。「生ける国家の象徴」となった彼は、事故による死亡を恐れた当局から宇宙飛行はおろか戦闘機の単独飛行すら長く禁じられ、世界各国を歴訪する親善大使としての激務に追われます。
ようやくパイロットとしての復帰訓練が認められた矢先の1968年3月27日、彼が操縦する戦闘機MiG-15UTIはモスクワ近郊の森林地帯に墜落。34歳という若さで不慮の死を遂げました。墜落の真相をめぐっては、悪天候説や他機(Su-15)の乱気流巻き込み説、機体の故障など長年にわたり陰謀論を含めた議論が続きましたが、公式には訓練中の突発的な回避機動に伴う墜落事故として処理されています。