海外要人との会談が報じられるたびに称賛される雅子様の英語力に対するネイティブの評判は、単に「流暢に発音できる」レベルを遥かに超越しています。外交交渉の場における言語は、一言のニュアンスの違いが国家間の利害対立を招きかねない極限のツールです。海外特派員や通訳の専門家筋からは、「複文を巧みに操りながら、論理的な論点を的確に要約するアカデミック・イングリッシュの使い手」として高い評価が定着しています。
幼少期を旧ソビエト・モスクワと米ニューヨークで過ごし、高校・大学で米国生活を経験された雅子様は、英語のみならずフランス語やドイツ語にも通じるマルチリンガルです。しかし、その語学力は単なる環境の産物ではありません。常に辞書を引き、国際政治や経済の専門用語を緻密にアップデートし続けた努力の積み重ねが、海外メディアから「極めて洗練された知性派」と評される所以です。
そうした圧倒的な能力を携えながら、民間外資系企業や研究職ではなく公的なキャリアを選択された雅子様の外務省への入省理由には、どのような志があったのでしょうか。父親である元外務事務次官・小和田恆氏の背中を見て育った影響はもちろん存在しますが、当時の取材記録や同僚官僚の証言によると、「日本と諸外国の架け橋となり、多国間の経済摩擦を対話によって解決したい」という明確な当事者意識が原動力でした。
1980年代後半は、日米貿易摩擦が激化の一途をたどっていた緊迫の時代です。米国で経済学を修め、米国の論理と日本の国情の双方を熟知した雅子様にとって、外務省経済局での実務は、自らの知見を最大限に発揮できる運命的なフィールドでした。その後、省内研修として実現したオックスフォード大学への留学でも、国際法と国際関係論の研鑽を積み、キャリア官僚としての資質を極限まで高めていかれました。