秋田県雄勝町(現在の湯沢市)で、いちご農家を営む家に生まれた菅義偉氏。高校卒業後、地元の未来に限界を感じた青年は、自分の可能性を試すべく「集団就職」の列車に飛び乗った。目的地は東京。右も左もわからない18歳がたどり着いたのは、東京都北区にある小さなダンボール工場だった。
当時の工場勤務は、朝から晩まで紙くずとホコリにまみれる過酷な作業の連続。給料も安く、狭い部屋での一人暮らしは孤独との闘いでもあった。「自分の人生、本当にこのままでいいのか」。工場で汗を流しながら抱いた強烈な葛藤と危機感が、彼を次の行動へと突き動かす。2年間の泥臭い工場勤務で資金を貯め、彼は自力で大学進学を目指す覚悟を決めた。