なぜ白蓮は、誰もが羨む莫大な資産と贅沢な暮らしを投げ打ってまで、命がけの逃避行に走ったのでしょうか。その背後には、重層的な白蓮事件の理由が存在していました。
1. 皇室につながる名門と無学な炭鉱王|歪な政略結婚の悲劇
白蓮(本名・燁子=あきこ)は、大正天皇の生母である柳原愛子の姪にあたり、白蓮事件の家系図を辿れば皇室と極めて近い名門華族・柳原前光伯爵の娘でした。一度目の結婚に失敗して実家に戻っていた彼女に対し、実兄の柳原義光は莫大な政治資金や借金返済の援助を期待し、九州の炭鉱王・伊藤伝右衛門との再婚を画策します。
当時、白蓮は25歳、伝右衛門は50歳で実に25歳の年齢差がありました。教養深く和歌に秀でた華族令嬢と、一代で富を築いた荒くれ炭鉱主。身分と金銭の思惑が絡み合った政略結婚は、最初から精神的なすれ違いを宿命づけられていたのです。
2. 複雑怪奇な伊藤家の内情と「人間的尊厳」の欠如
福岡県飯塚市に建てられた壮大な伊藤邸(旧伊藤伝右衛門邸)で白蓮を待ち受けていたのは、女中や愛人、前妻の連れ子や親族が入り乱れる異様な家庭環境でした。伝右衛門には多数の妾がおり、屋敷内に堂々と愛人たちが同居する日常に白蓮は深く苦悩します。
自著『踏絵』や当時の手記において、白蓮は「金力によって買い取られた人形のような生活」「精神の窒息」と述懐しています。炭鉱王の妻としての贅を尽くした暮らしの裏側で、一個の人間としての誇りは日々傷つけられていました。
3. 運命の出会いと新しい命の宿り
孤独の中で短歌に救いを求めていた白蓮のもとに、戯曲『釈迦の解脱』の出版を契機として現れたのが、東京帝国大学の学生で社会運動に身を投じていた宮崎龍介でした。龍介の父は、中国の革命家・孫文を生涯支援したことで知られる宮崎滔天です。
知性と情熱を兼ね備えた龍介と文通を重ねる中で、2人は激しい恋に落ちます。そして決定打となったのが、白蓮が宮崎龍介の子を身ごもったことでした。中絶を拒否し、わが子を伊藤家の子として偽ることを潔しとしなかった白蓮は、すべてを捨てて宮崎のもとへ走る決断を下しました。