現場を取材する中で浮かび上がってくるのは、悪意のない「善意の保護者」が結果的にうさぎを苦しめているという皮肉な現実です。「目や耳を怪我している」「カラスに突かれて衰弱している」といった過酷な姿を目の当たりにした観光客が、衝動的に鞄に入れてフェリーに乗せようとする事例が存在します。
しかし、生物学および獣医学の観点から見れば、大久野島の野生化うさぎを一般家庭の環境に連れ帰る行為には、以下のような致命的なリスクが伴います。
第一に、野生化個体の極度のストレス耐性の低さです。自然淘汰の中で生きてきた個体は警戒心が強く、急激に狭い室内ケージへ隔離されることで「捕獲性ミオパチー(過度の筋収縮による筋融解や心不全)」を引き起こし、保護された直後にショック死する事例が頻発します。
第二に、人獣共通感染症と寄生虫のリスクです。島内のうさぎはペットショップで徹底管理された個体とは異なり、ノミ、マダニ、ツメダニ、消化管内寄生虫を高確率で保有しています。中には野兎病(ヤトウビョウ)や人畜共通の皮膚真菌症を媒介する可能性もゼロではなく、専門知識を持たない一般人が安易に自宅へ連れ帰ることは、家族や先住ペットを重大な感染リスクに晒す行為にほかなりません。
大久野島のうさぎの生息数は、かつて観光ブーム期に約1,000羽近くまで膨れ上がったものの、その後の環境収容力(キャリングキャパシティ)の限界や過剰給餌による個体数崩壊、さらに自然環境の変動を経て、現在はおおむね400〜500羽前後の適正水準で推移しています。自然界の死や淘汰は過酷に見えますが、島という閉ざされた生態系の中では、死んだ個体もまた他の生物の糧となり循環しています。人間の主観的な「可哀想」という感情で介入することは、生態系の秩序を根本から攪乱する結果しか生みません。