実在の歴史において、両者の生存期間は驚くほど重なり合っています。織田信長は1534年に尾張国で生を受け、1582年の本能寺の変で49年の生涯を閉じました。一方のジョルダーノ・ブルーノは1548年にナポリ王国近郊のノーラに生まれ、1600年にローマのカンポ・デ・フィオーリ広場で火刑に処されるまでの52年間を駆け抜けました。
信長が40代半ばを迎え、天下統一に向けて安土城を築き、武田氏を滅亡へと追い込んでいた1570年代後半から1580年代初頭、ブルーノは20代後半から30代前半の若き論客として欧州全土を放浪していました。ドミニコ会の修道士でありながら伝統的なアリストテレス哲学やトマス・アクィナスの神学に異を唱え、ジュネーヴ、トゥールーズ、そしてパリへと逃避行を続けながら、独自の記憶術と哲学論争で名声を博していた時期です。
信長が本能寺の業火に倒れた1582年、ブルーノはパリ大学周辺でフランス国王アンリ3世の寵愛を受け、翌1583年にはイングランドへ渡ってオックスフォード大学で地動説と無限宇宙論の講義を行っています。日本が戦国乱世のクライマックスを迎えていたまさにその瞬間、ブルーノは西欧キリスト教世界の知的閉塞を打破すべく、ドーバー海峡を越えて論陣を張っていたのです。