現代の私たちが最も疑問に抱くのは、「なぜ明治天皇や昭和天皇の誕生日は祝日として残ったのに、大正天皇の誕生日は残らなかったのか」という点です。この疑問を解き明かす鍵は、戦前の祝日の扱いと戦後GHQ占領下での祝日法改正にあります。
まず戦前の制度において、先代の天皇を偲ぶ日は「誕生日」ではなく、崩御された日(命日)を祝祭日とする慣例がありました。明治天皇の崩御日(7月30日)は「明治天皇祭」として祭日になりましたが、国民からの熱烈な要望によって誕生日である11月3日が1927年に「明治節」として祝日化されました。
一方、大正天皇が1926年に崩御された際、国の祝日として制定されたのは誕生日ではなく、命日である12月25日の「大正節(たいしょうせつ)」でした。大正天皇の誕生日(8月31日・10月31日)は、昭和への代替わりと同時に祝日ではなくなっていたのです。
決定打となったのは、第二次世界大戦後の1948年(昭和23年)に制定された現行の「国民の祝日に関する法律」です。
GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の占領方針のもと、国家神道や皇室祭祀に直接結びつく祝日の多くが廃止・再編されました。この際、12月25日の大正節はあえなく廃止となります。一方で11月3日(明治節)は日本国憲法の公布日と重ね合わせることで「文化の日」として存続し、昭和天皇の誕生日であった4月29日は天皇誕生日から戦後に「みどりの日」、そして2007年に「昭和の日」へと名称を変えて受け継がれました。
大正天皇に関しては、在位期間が約15年間と短かったこと、戦前に祝日として定着していたのが命日(12月25日)であったこと、さらに12月25日は国際的にクリスマスと重なることなど複数の要素が絡み合い、新たな名目で祝日として復活する機運が政治的に生まれなかったのが決定的な真相です。