かつて昭和初期から町民に親しまれてきたこの祭りは、2011年3月11日の東日本大震災によって壊滅的な打撃を受けました。津波により港湾施設も市街地も根こそぎ流失し、祭りの象徴であった神輿や大漁旗も海へと消えました。そこから女川みなと祭り復活の経緯と現在に至る道程は、決して平坦なものではありませんでした。
「町が更地の状態で、祭りを再開して本当に良いのか」「海を恨む被災者の感情を逆撫でしないか」という町民内の葛藤や議論は数年に及びました。しかし、瓦礫処理から嵩上げ工事、そして新時代の美しい港町へと再生を遂げていく過程で、住民の間から「海への感謝と犠牲者への祈りを捧げる場をもう一度この手で取り戻したい」という声が自然発生的に高まっていったのです。手探りの小規模な復興祭を経て、港湾の整備完了とともに本格的なみなと祭りとして再始動を果たした際、岸壁で涙を流しながら手を振る古老たちの姿は、報道各社のカメラにも深く刻まれました。
なお、沿岸部特有の気候リスクとして女川みなと祭り雨天中止の理由や安全基準の厳格さも知っておく必要があります。女川湾は外洋に直結しているため、梅雨明け直後の「ヤマセ(冷たく湿った北東風)」による濃霧や、沖合の低気圧による高波が発生しやすい環境にあります。小雨程度であれば花火の打ち上げは決行されますが、海上パレードは波高や視界不良によって安全確保が困難と判断された場合、人命最優先の原則に基づき単独で中止される規定となっています。