伊丹十三監督が遺した映画が、昭和・平成・令和という元号の変遷を軽々と飛び越えて観客を惹きつけ続ける最大の要因は、徹底したフィールドワークに基づく知的好奇心の可視化にあります。従来の日本映画に見られた情緒過多な作劇や湿っぽい人間ドラマを真っ向から拒絶し、徹底した客観性とユーモアを武器に「日本社会のシステムそのもの」をエンタメへと昇華させました。
その原点は、映画監督以前に培われたエッセイストやドキュメンタリー作家としての視線にあります。伊丹監督は、儀礼の形骸化、脱税のカラクリ、暴力団の民事介入、食品偽装といった、大衆が薄々感づきながらも直視してこなかった社会のブラックボックスを徹底的に取材しました。「知ることは快楽である」という思想のもと、難解な社会構造を誰にでも理解できる痛快なドラマへと変換した手腕は、当時の映画界において極めて異端でした。
そして、その演出を一身に体現したのが、映画監督としての全10作すべてに出演した妻であり名女優の宮本信子です。お葬式の喪主の妻から、国税局査察官の板倉亮子、ヤクザと対峙する弁護士の井上まひる、スーパーの現場を立て直す花子まで、彼女が演じたヒロインは常に自立し、プロフェッショナリズムを持ち、理不尽な男社会の論理に風穴を開けました。夫婦でありながら共犯関係でもあった二人のクリエイティブは、日本映画史において類を見ない強度を誇っています。