1981年3月31日、後楽園球場でのコンサートをもってピンク・レディーは一度解散しました。当時、人気絶頂からわずか4年半での解散劇にはさまざまな憶測が飛び交い、一部メディアでは「ふたりの確執・不仲」が原因ではないかと書き立てられました。
しかし、後年のインタビューでふたりが語った真相はまったく異なります。解散の最大の引き金は、人間離れした超多忙スケジュールによる心身の限界でした。全盛期は移動車の中や点滴を受けながら仮眠を取り、実質的な睡眠時間は1日45分程度という過酷な日々が数年間続きました。さらに、全米進出への挑戦とそのプレッシャー、自分たちの意志とは無関係に巨大化していくビジネスの波の中で、燃え尽き症候群に近い状態に追い込まれていたのです。
不仲説についてふたりは一貫して笑い飛ばしており、「戦場で背中を預け合って生き抜いた唯一の戦友」と表現しています。相手の体調変化や息遣いだけで状態を察知できるほどの深い絆は、解散後も、そして数度の期間限定再結成を経た現在も一切揺らいでいません。