Q1:家康が食べた「鯛の天ぷら」は、私たちが現在食べている天ぷらと同じですか?
A1:現在の天ぷらとは製法が異なります。当時は小麦粉の衣を厚くつけて揚げる方式ではなく、魚の切り身にごく薄く粉をまぶして胡麻油で揚げ焼きにした「揚げ物(から揚げに近い形状)」でした。当時としては油を贅沢に使った最新の料理であり、消化機能が落ちていた高齢の家康にとっては胃腸への負担が極めて大きいものでした。
Q2:なぜ「鯛の天ぷらで急死した」という話が定説のように広まったのですか?
A2:江戸時代後期から明治・大正期にかけて成立した講談や俗書が、劇的なドラマ性を求めて「天ぷらの食中毒による急死」として面白おかしく脚色したためです。実際には発症から逝去まで約3ヶ月の期間があり、天ぷらは潜在していた胃がんの病状を表面化させる引き金に過ぎませんでした。
Q3:毒殺説が小説などで取り上げられることがありますが、可能性はありますか?
A3:歴史学・医学の両面から毒殺説はほぼ完全に否定されています。『駿府記』をはじめとする一次記録に毒殺特有の急性症状(激しい痙攣や急激な組織壊死など)の記述はなく、側近や警護体制が厳重を極めていた駿府城奥で毒を盛り続けることは不可能です。
Q4:享年75歳(満73歳)という寿命は、当時としてはどれくらい長寿だったのですか?
A4:織田信長が「人間五十年」と謳ったように、室町・戦国時代の平均寿命は40〜50歳程度(乳幼児死亡率を除いた成人でも60歳前後)でした。70歳を越えて生きた家康は、同時代の武将の中でも際立って長命であり、徹底した食事節制と運動(鷹狩り)の賜物であったと評価されています。