BEGINの代表曲として名高い『島人ぬ宝』ですが、その制作過程は決して順風満帆なものではありませんでした。島人ぬ宝 誕生秘話の真相を紐解くと、そこには「島を代表して歌うこと」に対するメンバーたちの強烈なプレッシャーとためらいがあったことが分かります。
沖縄本土復帰から30年を迎えた2002年、BEGINのもとには節目を祝う記念楽曲の制作依頼が寄せられました。すでに『涙そうそう』の大ヒットで全国区の知名度を得ていた彼らでしたが、ボーカルの比嘉栄昇氏は、かつて受けたインタビューなどで当時の心境を「正直、非常に怖かった」と回顧しています。高校卒業とともに上京し、東京でプロミュージシャンとして活動してきた自分たちに、果たして今の沖縄や石垣島を語る資格があるのかという自問自答でした。
「観光客が求めるエメラルドグリーンの海や青い空といった記号化された沖縄を歌うことは、島の本当の姿を裏切ることになるのではないか」。そうした深い葛藤のなかで比嘉氏が助けを求めたのが、故郷である石垣市立石垣中学校で教鞭を執っていたかつての同級生でした。
比嘉氏は友人に頼み込み、当時の中学生たちに「島に対する素直な思い」をテーマとした作文を書いてもらいました。後日、東京の事務所に届いた段ボール箱いっぱいの石垣島 中学生の手紙や作文用紙。そこに並んでいたのは、大人が期待するような「美しい自然への誇り」や「伝統への敬意」だけではありませんでした。「遊ぶ場所がない」「都会に行きたい」「別に海が好きというわけではない」といった、中学生ならではのリアルで無防備な言葉の数々だったのです。
この率直な叫びに触れた瞬間、比嘉氏の胸のつかえが下りたといいます。「無理に島を知ったかぶりする必要はない。知らないなら知らないと歌えばいい」。子どもたちの生の言葉が呼び水となり、わずか数時間のうちにメロディと歌詞の骨格が紡ぎ出されました。これこそが、音楽史に残る島人ぬ宝 制作経緯まとめにおける最も決定的な転換点でした。