1920年、シベリア出兵史における最大の惨事「尼港(ニコラエフスク)事件」が発生する。アムール川河口の港町ニコラエフスクで、日本軍駐屯部隊と邦人住民を含む約700人以上が、赤衛隊に包囲され全滅した。この悲劇は日本国内に強いショックを与え、反共感情と軍部の出兵継続派を刺激することとなった。
しかし、アメリカやイギリスなど他国が相次いで撤退を決める中、日本だけが北サハリンの占領を続け、派遣をダラダラと引き延ばした。この「引き際の悪さ」は国際社会からの孤立を深め、のちのワシントン会議における日本の立場を著しく悪化させる要因となった。