大政翼賛会とは?近衛文麿の新体制運動と解散の真相を徹底解説

大政翼賛会とは?近衛文麿の新体制運動と解散の真相を徹底解説

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大政翼賛会の性格を語る上で欠かせないのが、1942年(昭和17年)4月30日に実施された第21回衆院選、いわゆる翼賛選挙(翼賛政治体制協議会推薦選挙)です。日米開戦直後のシンガポール陥落など初期の戦勝ムードの中で行われたこの選挙では、政府系の推薦候補466名中381名(約82%)が当選しました。

官憲による露骨な干渉や非推薦候補への弾圧(用紙配布の制限や演説妨害)が行われた一方で、尾崎行雄や鳩山一郎、中野正剛、芦田均といった非推薦の気骨ある政治家も85名当選を果たしています。この事実は、大政翼賛会体制が完全な一党独裁に移行しきれなかった限界を物語っています。

一般に知られていない盲点:なぜ「ナチス型独裁」にならなかったのか?

歴史研究者の間では長年、「大政翼賛会はファシズム政党だったのか」という議論が交わされてきました。実態として、大政翼賛会は独自の軍事組織(突撃隊のような私兵)を持たず、首領への絶対的個人崇拝ではなく「天皇制」という既存の権威を前提としていました。結果として、内務官僚の事務連絡網として利用されるにとどまり、実質的な政策決定権は陸海軍部と政府官僚が握り続けたのです。

加藤 愛美
著者

加藤 愛美

マーケティングと消費者心理のトレンドを分析し、現代のヒット商品の背景を読み解きます。