像の前に立つと、まずその特異な構図に誰もが目を奪われる。同じ顔、同じ体躯を持つ二人の裸婦が、わずか数センチの間隔を空けて右手を触れ合わせようとしている。触れ合っているのではない。無限に近づきながら、決して交わらない。この緊張感に満ちた距離こそが、高村光太郎が仕掛けた最大の謎だ。
生前の光太郎を知る地元の古老や残された制作手記を紐解くと、この像は単なる抽象的な女性賛美ではないことが明白になる。モデルとなったのは、言うまでもなく妻である高村智恵子だ。しかし、光太郎は智恵子の若き日の面影だけを写し取ったのではない。精神を病み、狂気と純粋さの狭間を彷徨いながら先立っていった妻の生命力そのものを、ブロンズに封じ込めようとした。
二体が向かい合っている理由について、光太郎は「神と人」「自然と人間」、あるいは「智恵子と自分自身」の対話であると仄めかしている。自分を映す鏡としての他者。愛する者を失った孤独な彫刻家が、晩年に辿り着いた境地がここにある。二体の指先が触れ合わないのは、喪失の痛切さと、魂の領域で永遠に求め合い続ける人間の業を象徴しているのだ。