河島英五「時代おくれ」が令和に刺さる理由と阿久悠の誕生秘話

河島英五「時代おくれ」が令和に刺さる理由と阿久悠の誕生秘話

河島英五「時代おくれ」が令和に刺さる理由と阿久悠の誕生秘話の全体像を丁寧に掘り下げてご紹介します。

デジタル空間における近年の言説をリサーチすると、本曲に対して一部で表面的な誤解が散見されます。その最たる例が、歌詞に含まれる「女は誰もみな 愛されるほうがいい」という一節を取り上げ、現代のジェンダー平等意識やポリティカル・コレクトネスの観点から「古臭い男尊女卑の歌ではないか」と断じる短絡的な批判です。

しかし、文脈と言葉の深層を丁寧に検証すれば、この批判が的外れであることは明白です。この歌詞が書かれた1980年代半ばは、男女雇用機会均等法が施行され、女性が家庭から社会進出へと舵を切り始めた激動期でした。阿久悠が意図していたのは女性を家に縛り付ける家父長制の肯定ではなく、むしろ逆です。「男は誰もみな 無口なほうがいい」という前句と対比させることで、男性側に「多くを語らず、見返りを求めずに身近な人を愛し、守る義務がある」という、自己規律と責任の重さを課しているのです。

権力を振りかざして威張り散らす男ではなく、居酒屋の片隅で静かに酒を飲み、愛する者を立てて自らは黒子に徹する慎ましさ。ここにあるのは支配欲ではなく、徹底した「利他」と「敬意」の哲学です。歌詞の全体像を俯瞰すれば、自分を誇示しないこの主人公の生き方は、現代における対等で成熟した人間関係の構築にも通じる普遍的な倫理観を提示していると解釈するのが極めて妥当です。

高橋 健太
著者

高橋 健太

Webメディアでの編集・執筆歴10年。読者の好奇心を刺激するストーリー作りを心がけています。