「江戸時代の農民や町人は、刀を持つことなど一切許されなかった」という理解は、近年の歴史学では完全に覆されている。幕府や諸藩は財政難や社会インフラ整備の必要に迫られ、町人や農民の苗字帯刀を報奨制度として積極的に活用した。
地方自治体の郷土史料編纂室や国立公文書館の所蔵記録を精査すると、庶民が武士の特権を獲得した生々しいプロセスが見えてくる。名字帯刀の条件として公認された主な実例は以下の通りだ。
- 巨額の御用金上納(献金・公金調達):凶作による藩財政の逼迫時や幕府の普請に際し、数千両規模の献金を行った豪商・豪農への見返り。
- 大規模な社会インフラ整備・治水事業:私財を投じて新田開発や河川の堤防工事を成功させ、領内の石高向上に寄与した功労者への下賜。
- 飢饉時の救済活動(賑給・施粥):天明や天保の大飢饉に際し、蔵を開いて何千人もの餓死者を救った篤志家に対する公的顕彰。
- 特殊技能・専門知識の提供:藩主の側近として仕える腕利きの町医師、和算家、あるいは特別な流通航路を切り開いた御用商人。
ただし、庶民に許された帯刀には厳格なグラデーションが存在した。本人の一代に限り名乗りと帯刀を認める「一代限り」と、子孫代々にわたって特権を世襲できる「永代苗字帯刀」の格差である。さらに「旅中帯刀」のように、道中の安全確保のために旅の間だけ脇差や大刀の携行を黙認する限定許可も存在した。幕末が近づくにつれ、財政が破綻寸前に追い込まれた諸藩では「武士株」の売買や帯刀権の切り売りが公然と行われ、金銭による身分の上昇は加速していった。