得月院という呼称は、彼女の没後に贈られた院号・戒名に由来します。「得月」の語には、仏教における悟りや、澄み渡る月のように乱世を見つめ続けた気品が込められています。
彼女にまつわる寺院や墓所などのゆかりの地は、夫・高知が治めた丹後(現在の京都府北部・宮津市周辺)や、京極家と毛利家双方が深い信仰を寄せた京都の大徳寺周辺に点在しています。
大徳寺塔頭や宮津の菩提寺に残る記録では、得月院は夫・高知の死後も一族の安寧と戦乱で倒れた両軍の戦死者を供養するため、手厚い寺社寄進を行いました。宮津の地には、京極高知が築いた城下町の整備とともに、得月院が信仰を捧げた寺院の痕跡が今も静かに息づいています。現地を訪れると、激動の時代を乗り越えた女性の気品ある祈りが、石碑や寺伝の中に刻まれていることを実感できます。