六波羅蜜寺が怖いと噂される真相|空也上人像と六道の辻の謎を徹底解明

六波羅蜜寺が怖いと噂される真相|空也上人像と六道の辻の謎を徹底解明

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六波羅蜜寺が建つ一帯は、平安時代から中世にかけて六波羅蜜寺と鳥辺野の冥界信仰が色濃く根付いたエリアです。かつての京都では、身分の高い貴族を除き、庶民の遺体は土に埋葬されることなく、山野に遺棄される「風葬」が一般的でした。京洛の三大風葬地の筆頭が、この東山山麓に広がる鳥辺野だったのです。

平安京の市中から鴨川を渡り、鳥辺野の野辺送りへと向かう葬送ルートの最終地点が、六波羅蜜寺のすぐ北側に位置する六波羅蜜寺と六道の辻の分岐点でした。「六道」とは、仏教において迷いある魂が輪廻転生を繰り返す6つの世界(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上)を指します。鴨川を越えた瞬間からそこは死者の国であり、野良犬やカラスがついばむ死骸の山が果てしなく広がっていたと当時の記録は伝えています。

天暦5年(951年)、京都に猛威を振るった疫病によって鴨川の河原に無数の死骸が放置された際、自ら十一面観音像を彫り、車に載せて引きながら市中を巡り、死者を供養して病魔退散を祈ったのが空也上人でした。上人は打ち捨てられた遺体を火葬にし、阿弥陀仏の教えを説いて回りました。つまり、六波羅蜜寺は怨霊や病魔の恐怖が支配していた最前線に、救済の光を灯すために建立された拠点だったのです。この場所が本来持っている「凄惨な死の記憶」が、時代を経て六波羅蜜寺で幽霊が出るのではないかという怖い話へと歪んで語り継がれています。

清水 千尋
著者

清水 千尋

マーケティングと消費者心理のトレンドを分析し、現代のヒット商品の背景を読み解きます。