「土左衛門」という奇妙な表現の正体を突き詰める上で、避けて通れない文献があります。江戸時代後期の国学者・喜多村信節(きたむらのぶよ)が文政13年(1830年)に著した百科随筆『嬉遊笑覧(きゆうしょうらん)』です。同書には明確に次のような記録が残されています。
「水死人を土左衛門と云ふは、享保の頃成瀬川土左衛門といふ相撲人あり、肥満して色白かりしが、水死人のふくれて白きに似たるより名づけしとぞ」
ここに登場する成瀬川土左衛門(なるせがわ どざえもん)こそが、まさに語源となった実在の人物です。彼は江戸相撲の享保年間(1716〜1736年)に活躍した力士であり、当時の記録によると現在の宮城県出身で仙台藩のお抱え力士を務めていたと伝えられています。
当時の大相撲において、成瀬川土左衛門は類まれなる「巨漢」かつ「極度の色白」として江戸市中で認知されていました。水から引き揚げられた水死体は、腐敗と水の作用によって全身が白く水ぶくれを起こします。その無残に肥大化した姿を見た江戸の町人たちが、「まるで成瀬川土左衛門のようだ」と軽妙かつ不謹慎な地口(言葉遊び)として呼んだことが、瞬く間に定着したのが語源の真相です。