神子畑の歴史は古く、平安時代に銀や銅の採掘が始まったことに遡ります。明治時代には生野鉱山の支山として政府直轄の鉱山となり、フランス人技師ムーセの手によって鉱山道路や日本最古の鋳鉄橋「神子畑鋳鉄橋」が整備されました。
その後、鉱石の枯渇に伴い1917年に鉱山としての採掘は休止。しかし1919年、近隣の明延(あけのべ)鉱山で採掘された鉱石を選別・濃縮するための大規模な選鉱施設として生まれ変わります。山の斜面を利用した重力による合理的な選鉱システムと、22段にも及ぶコンクリートテラスが建設され、1919年の操業開始以降、名実ともに「東洋一の選鉱場」として日本の高度経済成長を支えました。
最盛期には約1,000人もの作業員が働き、選鉱場を照らす明かりが夜空を焦がすさまから「不夜城」とも呼ばれ、周辺には社宅や商店、映画館までもが立ち並ぶ一大鉱山街が形成されていました。