一般的に同義語として扱われがちな「潜伏キリシタン」と「隠れキリシタン(カクレキリシタン)」ですが、近年の歴史研究や文化庁の定義では明確に使い分けられています。この境界線を理解することが、彼らの歩んだ過酷な歴史を読み解く第一歩となります。
1549年のフランシスコ・ザビエル来日以降、日本には多くのキリシタンが誕生しました。しかし、江戸時代に入り江戸幕府による禁教令(1612年直轄領、1613年全国)が発布されると、信徒たちは表向き仏教徒や神道の氏子を装いながら、密かに信仰を維持する道を歩みます。この禁教令期(17世紀初頭〜1873年のキリスト教解禁)に地下組織を形成して信仰を維持した人々を「潜伏キリシタン」と呼びます。
一方、幕末から明治にかけてカトリックの神父と再会(1865年の大浦天主堂における「信徒発見」)し、禁教令が解かれた後も、「先祖伝来の独自の信仰スタイルを変えない」として正統派カトリックに戻らなかった人々を「隠れ(カクレ)キリシタン」と定義します。彼らは潜伏期に仏教や神道、土着の民俗信仰と融合した独特の儀礼や祈りを、先祖代々の神聖な伝統として守り続ける道を選択しました。