歴史の俗説やネット上の言説では、聖武天皇に対して「国の財政を無視して大仏を造り、国家を破綻させかけた狂信的な暗君」という極端な見解が語られることがあります。しかし、近年の歴史学研究や一次史料の再検証によって、そのイメージは大きく覆されています。
聖武天皇の「大仏造立の詔」を精読すると、「国富に依りて造らば、事を成すこと易く、人心を労して求むれば、志を獲ること難し」(国家の権力や財力だけで無理に造ろうとすれば形骸化し、人々に強制すれば真の目的は達せられない)と記されています。さらに「枝葉の一筋、土のひと握りでも、自ら進んで寄進しようとする者がいれば喜んで受け入れよ。決して役人が人民に強制してはならない」と厳命していました。
つまり聖武天皇は、財政の枯渇や民衆の疲弊を深く自覚した上で、トップダウンの強制ではなく、行基のような民間リーダーと連携したボトムアップ型の社会統合を目指していたのです。また、墾田永年私財法によって実利的な農業振興を図るなど、宗教的な理想と冷徹な政治的リアリズムを巧みに両立させていたことがわかります。