漂流から世界一周へ!山本音吉の生涯と子孫の現在を徹底検証

漂流から世界一周へ!山本音吉の生涯と子孫の現在を徹底検証

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音吉の残した足跡は、単なる漂流民の生存記録にとどまりません。彼がマカオ滞在中にギュツラフと共同で行った事業こそ、歴史上初となる日本語訳聖書『約翰福音之伝(ヨハネによる福音書)』および『約翰上中下書』の翻訳でした。

当時の音吉は外国語の専門教育を受けていなかったものの、尾張弁混じりの平易な日本語を用いて、難解な聖書の教義を翻訳していきました。例えば、冒頭の「初めに言(ことば)があった」という有名な一節は、「ハジマリニ カシコイモノ ゴザル」と翻訳されています。「ロゴス(理性・言葉)」という抽象概念を、当時の庶民感覚に引き寄せて「賢い者」と言い換えた工夫は、比較言語学・宗教文化史の観点からも極めて高い評価を受けています。

その後、音吉は英国籍を取得し、名を「ジョン・マシュー・オトソン(John Matthew Ottoson)」と改めました。英語と中国語を流暢に操る能力を買われ、イギリスの大手商社「デント商会」に勤務。上海やシンガポールを拠点に貿易実務を取り仕切る有力な商人へと成長します。

さらに特筆すべきは、幕末の日本外交への関与です。1854年、スターリング率いる英国東洋艦隊が日英和親条約締結のために長崎へ来航した際、音吉は通訳として随行しました。20年ぶりに日本の土を踏んだ音吉に対し、幕府の役人はその優秀な通訳ぶりに驚嘆し、日本への復籍と帰国を秘密裏に打診したと記録されています。しかし音吉は、すでにシンガポールに家庭を持ち、自由な国際人としての立場を確立していたため、丁重に辞退しました。

1862年には、江戸幕府がヨーロッパへ派遣した「文久遣欧使節団」がシンガポールに寄港した際、音吉は使節団一行を熱心に出迎え、現地の情勢を案内しました。随行員であった福沢諭吉の『西航記』や松木弘安(後の寺島宗則)の日記にも、親切に世話を焼いてくれた頼もしい同胞として音吉の姿が克明に描かれています。

松本 悠斗
著者

松本 悠斗

マネー知識やキャリア形成に役立つノウハウを、初心者にも分かりやすく解説するのが得意です。