中野太郎は1936年、大分県に生まれました。若い頃から腕っぷしの強さと気骨で知られ、裏社会へ足を踏み入れると、初代山健組傘下で頭角を現します。山一抗争をはじめとする数多の修羅場で常に最前線に立ち、「喧嘩太郎」の異名をとるほどの武闘派として恐れられました。
山健組二代目を継承した渡辺芳則が1989年に五代目山口組組長へ就任すると、長年苦楽を共にしてきた中野太郎も直参(二次団体組長)へ昇格。さらに若頭補佐などの要職を歴任し、五代目体制の屋台骨を支える実力者として組織内での発言力を急速に高めていきました。渡辺組長との強固な信頼関係を背景に、中野会はわずか数年で組員数千人規模を誇る超武闘派組織へと急成長を遂げます。