彼の足跡を振り返る上で欠かせないのが、ラテン音楽やボサノヴァとの鮮烈な出会いである。1960年代、日本人としてはいち早く米バークリー音楽院(現バークリー音楽大学)へ留学した彼は、そこで世界中から集まるトップジャズマンたちと切磋琢磨した。
帰国後、彼が日本に持ち帰ったのは、ブラジルの新たなるリズム「ボサノヴァ」だった。当時、まだ歌謡曲やオーソドックスなモダンジャズが主流だった日本の音楽シーンに、軽やかで洗練されたブラジル海岸の風を吹き込んだインパクトは絶大だった。
「カルロス・ジョビンやスタン・ゲッツのサウンドを聴いたとき、体が自然と動き出した」と本人が語るように、彼の耳は常に新しい心地よさを探していた。ジャンルの壁を軽々と飛び越えるそのスタイルは、のちのフュージョン・ブームの決定的な種まきとなったのだ。