日光東照宮の三猿を知る者の多くが、一度は耳にする噂があります。「実は、4匹目の猿が存在していたのではないか?」という疑問です。結論から述べると、この噂は単なる都市伝説ではなく、宗教史的にも民俗学的にも紛れもない事実です。
その4匹目の名は「せざる(四猿/しざる)」と呼ばれます。「見ざる」「言わざる」「聞かざる」に続く4番目の猿であり、その姿は主に「両手で下腹部(股間)を覆い隠している」か、あるいは「腕組みをして一切の行動を静止している」ポーズで表現されます。
「せざる」が意味する教訓は大きく分けて2系統存在します。1つは仏教における戒律(不邪淫戒)に由来する「みだらな性行動を慎み、性的な過ちを犯さない」という肉体的な自制の教えです。もう1つは、道徳全般における「悪行を行わない(不為=悪しき行動をしない)」という行動規範です。
日本国内でも、京都・東山にある天台宗の寺院「八坂庚申堂(大黒山金剛寺)」をはじめとする古い庚申信仰の寺社では、三猿ではなく「四猿」として奉納されている実例が確認されています。また、台湾や中国、インドネシアなどの東南アジアに残る寺院レリーフにおいても、4匹セットで鎮座する彫刻は珍しくありません。
では、なぜ日光東照宮では「せざる」が排除され、三猿だけになったのでしょうか。日光山輪王寺や東照宮の建築意図を研究する歴史家らの間では、複数の学説が提示されています。
- 下腹部を押さえる意匠の忌避:徳川家康公を神(東照大権現)として祀る神聖無比な霊廟において、性的な連想を招きかねない「股間を押さえる猿」の造形が美観上・儀礼上ふさわしくないと判断された説。
- 数字の吉凶と陰陽道:「四」という数字が「死」に通じる忌み数であるため、奇数であり縁起の良い「三」に収めることで調和を図った説。
- 建築空間の制約:神厩舎の限られた欄間(らんま)の横幅に、等間隔でバランス良く配置するデザイン上の最適解として3匹が選ばれた説。
後世の記録では、家康が遺した教訓や儒教的倫理観を反映させるにあたり、幼少期の教えとしては「知覚と発話(目・耳・口)」を律する3匹で教育的意図が十分に完結するため、あえて「せざる」を外したという解釈が有力視されています。