なぜ「歌右衛門」の襲名はこれほどまでに慎重を期され、妥協なき覚悟が求められるのでしょうか。その答えは、先代である六代目中村歌右衛門が築き上げた空前絶後の芸術的到達点にあります。
1917年に五代目中村歌右衛門の次男として生を受けた六代目は、幼少期に罹患した病の後遺症で左足に障がいを抱えながらも、血のにじむような鍛錬によって近代歌舞伎を代表する人間国宝女形へと上り詰めました。1968年に重要無形文化財保持者(人間国宝)に各個認定され、1979年には文化功労者、1989年には文化勲章を受章。さらには高松宮殿下記念世界文化賞を受賞するなど、日本国内の枠組みを越えて世界の演劇史にその名を刻みました。
六代目の名を不滅のものとしたのが、十八番とした演目群です。とりわけ『京鹿子娘道成寺名演』における白拍子花子は、神憑り的な妖艶さと厳格な品格を同居させ、観客のみならず作家の三島由紀夫ら同時代の知識人を熱狂させました。また、『伽羅先代萩』の政岡で見せた我が子を犠牲にする乳母の凄絶な忠義、『本朝廿四孝』の八重垣姫、『隅田川』の斑女の前など、六代目が演じる女形は単なる「女の模倣」を超越した「祈り」と「象徴美」の極致にありました。
自著や当時の特番インタビューにおいて、六代目は「女形はただ綺麗に化けるのではなく、業(ごう)を背負って生きるもの」と語り残しています。2001年3月31日、満84歳でこの世を去った際の中村歌右衛門死因と功績について、公式発表では呼吸不全(肺炎の合併症)と伝えられました。昭和から平成の演劇界を牽引した巨星の死は、歌舞伎のひとつの黄金時代の終焉を象徴する出来事でした。