小栗旬の20代前半を振り返る際、ファンやメディアの間で必ず取り沙汰されるのが「かつて相当尖っていた」というエピソードです。当時の民放バラエティ番組や雑誌インタビュー、関係者の証言を丹念に拾っていくと、単なる若気の至りや素行不良とは全く異なる、強烈な表現者としての矜持が浮かび上がってきます。
彼が最も精神的に追い込まれ、同時に役者としての骨格を作られたのが、故・蜷川幸雄氏が演出を手掛けた舞台作品群でした。2003年の舞台『ハムレット』フォーティンブラス役や、2006年の『タイタス・アンドロニカス』エアロン役などに出演。稽古場では蜷川氏から怒号が飛び交い、灰皿や履き物が投げ込まれる壮絶な環境の中、小栗は悔しさのあまりトイレで涙を流しながらも「絶対に見返してやる」と喰らいつきました。妥協を一切許さない世界の洗礼を受けたことで、芝居に対する基準が一般的な同世代と大きく乖離していったのです。
当時の映像現場では、演技プランについて監督やプロデューサーに対しても物怖じせず「この脚本の台詞、感情の繋がりとしておかしくないですか?」「なぜこの画角で撮る必要があるんですか?」と直談判することが日常茶飯事でした。上意下達が絶対視されていた当時の制作現場において、20代そこそこの若手俳優が演出に異を唱える姿は、一部のスタッフから「生意気」「扱いづらい若手」とネガティブに受け取られることも少なくありませんでした。
さらに、毎夜のように山田孝之、綾野剛、藤原竜也、瑛太(現・永山瑛太)といった同世代の気鋭俳優たちを自宅や居酒屋に集め、朝まで激しい演技論を戦わせていたことも語り草です。「日本の映像界を面白くしたい」「役者が使い捨てにされる労働環境を変えたい」という当時の問題意識は、まさに血気盛んな青年期の反骨心そのものでした。若き日の「尖り」は、不条理な業界構造に対する正当な問題提起であり、後の俳優労組構想や事務所経営へと繋がる確固たる信念の萌芽だったのです。