大坂の陣後、長泰の平野家は徳川幕府のもとで交代寄合表御礼衆(大身旗本)として家名を存続させました。参勤交代を行い、大名に準ずる格式を持ちながらも、形式上は旗本のまま江戸時代を過ごします。
しかし、ドラマは幕末に訪れます。慶応4年(1868年)、明治維新の激動の中、10代当主・平野長裕の時代に政府の制度変更(高直しや公認手続き)を経て、ついに立藩が認められ「田原本藩(1万石)」が成立しました。長泰の受封から約280年を経て、平野家は正真正銘の大名となったのです。
廃藩置県後は華族に列し、子爵の爵位を授けられました。長泰の血統と家名は激動の近現代を越えて受け継がれ、歴史愛好家や地元・奈良県田原本町の人々に今なお深く敬愛されています。