現代の視点から見れば容易に予防・治療可能な疾患が命取りとなった背景には、当時の極めて脆弱な社会インフラと医療体制の限界がありました。
第一に、上下水道をはじめとする衛生インフラの未整備です。明治初期から中期にかけての都市部では、長屋の住人たちが共有の井戸から生活用水を汲み上げていました。そのすぐ近傍には汲み取り式の便所が配置されており、降雨や地下水の浸透によって排泄物中の病原菌が飲料水に混入するリスクが極めて高かったのです。この不衛生な水環境は、コレラ、赤痢、腸チフスといった水系感染症の爆発的なパンデミックを幾度も引き起こしました。内務省の記録によれば、明治12年(1879年)のコレラ大流行では、全国で10万人以上の死者が記録されています。
第二に、有効な治療薬の不在です。ルイ・パスツールやロベルト・コッホによって細菌学が急速に進展し、日本でも北里柴三郎らが伝染病予防に尽力したものの、抗生物質のペニシリンが実用化されるのは昭和の第二次世界大戦期以降です。明治時代における医師の治療は、対症療法や安静、栄養補給に限定されており、一度重症化した肺炎や結核菌を直接駆逐する手段はありませんでした。
さらに、衛生観念の浸透における地域格差と階層格差も深刻でした。西洋医学を修めた近代的な医師の数は限られており、農村部や貧困層においては、病気にかかっても高額な医療費を払えず、祈祷や民間療法、あるいは古くからの漢方薬に頼るほかない実態が長らく続いたのです。